小津の映画を見始めた頃それまでは生意気にも、全然見る気の起きない映画だと思っていた。 佐藤忠男の本「小津安二郎の芸術」を読んで、 小津映画とはこんな深いものだったのかと、教えられた。 75年頃というと小津映画は、海外にもまだあまり知られていなかった。 佐藤忠男の本にはドナルド・リチイが海外に広める活動をしていると書かれていたが、 浅はかにも僕は、 自分は大好きでも海外には本当に広まる映画なのだろうかと思っていた。 自分が大好きなら海外の人も、とは思えなかった。 そして、多くの映画ファンも、 小津映画をあまり未来の無い映画としか思っていなかった。 そんな状況を考えると、佐藤忠男を本当に尊敬するしかない。 当時はまだビデオが普及していなかった。 見ようと思っても、映画館に再映で来るのを待つしかなかった。 ただ幸いなことにまだまだいくつも映画館があって、 1年に1回くらいだが何処かに来ていた。 だから「小津の映画が来た!!」となると必ず2回り見ていた。 初めて見たのは「晩春」、次に「東京物語」だったと思う。 俳優さんの名前と顔がイザ映画を見るとつながらず、 このきれいな人が原節子さんだろうとか思いながら見ていたことを思い出す。 見るごとに熱が入ってきて、 もっと見られないだろうかと思って友達と画策したことがある。 みんなでお金を出し合って、16ミリの映写機を買って、 16ミリフィルムを借りて見ようというのだ。 しかし、16ミリフィルムそのものが、借りると1週間で1万円ほどもした。 結局、それでは映写機を買っても続かないだろうということで実現できなかった。 その後のビデオの普及は想像できなかったから、その時は残念だったが、 無理しないでよかった!! (笑) さて、90年代からの傾向として、日本の文化一般が 欧米の文化に引けを取らないものとして、一般的に思われるようになってきた。 また若い世代に至るまで、より好まれるようになった。 それは、日本の社会に色々な問題はあるにしても、 日本の中で普通にあったことが、 海外から賞賛されたりするようになったのと 対応した現象だと思う。 小津の映画も、そういう流れの中で、 あらたに「世界の小津」として多くの人に見られるようになった。 そしてここには、日本の明治以来の西欧化、つまり工業化を目指した社会が 成熟してきた、 ある形で出来上がってきたということが背景にあると思う。 ここで、明治以来の社会の工業化について少し考えてみる。 一般論として、社会の工業化の指標は、 就業人口の第一次産業の人口の比率に表れる。 第一次産業といってもほとんどが農業なので、 農業人口の比率といってもほとんど変わらない。 工業化する前の社会の農業人口の比率は、 例えば日本では江戸時代とかだが、80%以上もある。 時代劇からは農業をする人がそんなに多くいるようには見えないが、 実際にはそれだけ多くいる。 そして一般にそれが10%まで下がってくると、 社会の工業化が構造的に出来上がってくる。 2000年頃の世界の第一次産業人口の比率を見てみると
工業化して農業人口は減少していくが、 それだけ農業自体も機械化していくということになる。 日本の第一次産業人口の比率が10%を切るのが80年代であり、 それを過ぎて、日本人は徐々に 明治以来の欧米の文化に対するコンプレックスから 解かれ始めてきたように思う。 かってはコンプレックス故に、自らを過大に思い込んだり、過小に評価したりしていた。 そして90年代には、自分達の文化の特に優れたものだけでなく、 生活の中に普通にあったものも含めて、 自然に引けをとらないものだと思えるようになってきた。 もちろん、まだまだ見誤りは多いにしても。 日本の第一次産業人口の比率を、小津の経歴と共に見てみると
彼の40余年にわたる作品史は、 日本の生活の変ぼうの記録である。 描かれるのは、日本の家庭の緩慢な崩壊と アイデンティティーの衰退だ。 だが進歩や西欧文化の影響への、批判や軽べつによってではない。 少し距離をおいて、失われたものを懐かしみ、 悼みながら物語るのだ。(東京画 / ヴェンダース) まさに、小津の作品史は日本の生活の変貌の記録だ。 それは小津の映画が、事件ではなくて、 その時その時の人が描かれているからだと思う。 そして、確かに「批判や軽べつ」によって描かれることはなかった。 小津映画を見始めた75年頃、 僕は当時の学生運動の終焉から、まだ心の整理のつかない状態であった。 そんな頃に、僕は小津の映画に何を見たのだろうか。 「失われたものを懐かしみ、 悼みながら物語る」映画は、何をもたらしたのだろうか。 「失われた時を求めて」においてプルーストはこんなことを書いている。 私の読者たちというのは、私のつもりでは、 私を読んでくれる人たちではなくて、彼ら自身を読む人たちなのであって、 私の書物は、コンブレーのめがね屋が客にさしだす拡大鏡のような、 一種の拡大鏡でしかない、 つまり私の書物は、私がそれをさしだして、読者たちに、 彼ら自身を読む手段を提供する、そういうものでしかないだろうから。 (失われた時を求めて / プルースト 井上究一郎訳) 小津の映画を見ると、僕はいつも自分の今までのことが思い浮かぶ。 そう、小津の映画が心に入るのは、小津の思想を見ているからではなくて、 自分自身を見る「一種の拡大鏡」であるからではないだろうか。 見ているうちに自分の今までのことに思いが行く、 それが小津映画の本質ではないか。 今、75年頃の自分の状況を思うと、 小津の映画に出会えたことが本当によかったと思う。 (FK 2008年2月15日) 参考図書 世界国勢図会 2003/2004 / 矢野恒太記念会 数字でみる 日本の100年 / 矢野恒太記念会 |