《目次》
ローポジション
風格を描く映画
小津の映画を見始めた頃
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固定カメラ
小津はカメラを動かさないで撮ることにこだわった。
しかし 全く動かしていないかというと、そうではない。
「東京物語」でも動かしているところがあるし、「麦秋」では動くところが10箇所以上ある。
傾向としては、年とともにカメラの移動のある場面が限定されていき、
「秋日和」や「秋刀魚の味」では全くの固定カメラのみになっている。
小津は、昭和三十三年の対談で、オーヴァーラップや移動は
「二十五、六年前からしなくなった」と言っている。
昭和七、八年からということになるのだが、
昭和7年の、小津の最高傑作かもしれない名作「生れてはみたけれど」では、
カメラの移動は外の場面だけではなく、会社の事務室で物憂い情景を撮るのに、
カメラを積極的に動かして見せるような方法でとっている。
しかし昭和8年の「出来ごころ」では、カメラの移動のある場面は制限されており、
固定カメラへのこだわりはそのあたりから始まったようだ。
「晩春」では、サイクリングの場面以外にカメラの移動は目立たないのだが、
よく見れば笠智衆が原節子に道を歩きながら話す場面では、
移動カメラで台詞を言う笠と原を撮っている。
しかし「麦秋」と「東京物語」では、カメラの動くのが、
台詞のないところに限定されている。
しかも、その場での最初の台詞が始まる前か、
全ての台詞が終ってからでしか動かさないということになっている。
小津は対談の中で、
「移動を意識させたくない。知らん間に移動できる場合はやっている。
オクターブの延長そのものが移動にならんとね。」と言っている。
移動はしても限定してやっている、
固定カメラの基本的なところは崩していないということであると思う。
確かに、前述の「晩春」でカメラの動くところも、
固定カメラの自然な流れの中にあって、ほんとに気付かない。
まさに「知らん間に移動」している。
カメラの移動は、「晩春」の場合がそうであるように、
外を歩きながら話している場面とかには自然に必要になってくるものだろう。
しかし、全固定カメラの「秋日和」には、外を歩きながら話すような場面そのものが無い。
無いような話にしたとしか思えない。
出演者が外にいる場面そのものが、
遠景で撮られているハイキングで山道を歩く場面、
佐分利信がゴルフの店から向かいの喫茶店まで道を横断する場面、
司葉子がうなぎ店に入っていく場面、この3つしかない。
同じく全固定カメラの「秋刀魚の味」では、出演者が外にいるのは、
出入りする家や店の前か、駅のプラットホームだけだ。
これでは話がものすごく制限されてしまう。
なぜ小津は、そこまでして固定カメラにこだわったのだろうか。
晩年の小津は、こだわるというより、ほんとうに好きなことだけをしていたい、
そういう思いが強かったのではないだろうか。
映画の追求以上に、その思いが強かったような気がする。
大島渚は、外国で小津安二郎と溝口健二ついてで聞かれると、
「小津さんは自分の好みの中でしか仕事をしなかった。
その上、好みを自分で知りぬいていた。だから幸福だったでしょう。
しかし、溝口さんは一生自分が何をやりたいのかも分からず、
ただ、無茶苦茶に頑張った。苦しい一生だったと思います。」
と答えるという。
また晩年、小津の評価は大きく割れた。
古い世代からは最高の評価を受ける一方、若い世代からは、
すでに過去の監督でしかないと問題にされなかった。
今の世界的な評価は全く想像できなかった。
小津映画の評価に未来はあまり無いようにも思えた。
しかし、大島渚の言葉を思いながら
全固定カメラの「秋日和」や「秋刀魚の味」を見ると、
確かに小津はほんとうに自分の好きなことだけをして、
幸福に映画を作っていたのだなーと思う。
(FK 2008年2月3日)
参考図書
小津安二郎の芸術 / 佐藤忠男
絢爛たる影絵 / 高橋治
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